![]() 東京都昭島市立成隣小学校 |
||
学校ビオトープは、行政や学校側だけでなく、地域住民の理解と支援を得ながら、地域コミュニティのなかで創り、育てていくことが長続きするポイントだと考えられる。しかし現実には、学校と地域コミュニティが連携をとり、ビオトープに取り組む機会はむしろ珍しく、さらに連携実現後にも、軌道に乗るまでに、克服すべき多くの課題があるかもしれない。 今回、取材に行った東京都昭島市の「成隣小学校ビオトープ(2003年3月完成)」は、地域の環境保全に取り組む住民が、2000年頃にビオトープを創ろうという発想から着手して、そのアイデアと熱意が、成隣小学校ならびに昭島市に伝わり実現したという、地域住民からのボトムアップ型の事例である。 このビオトープについて、地域の環境保全団体に取材をご依頼した。今回は「多摩川と生きる昭島市民の会」の小峰久行代表、「あきしま水辺の楽校運営協議会」の大場昭会長のお二人のお話を紹介します。 |
||
![]() |
||
![]() |
||
成隣小学校ビオトープ (昭島市立成隣小学校ホームページより) |
||
![]() 私たちは、当初から成隣小学校にビオトープを創ろうと考えていたわけではありません。当地を流れる多摩川で計画される「水辺の楽校」の準備会のために、地元の環境団体が成隣小学校の一室に集まりました。多摩川の現地視察の帰りに、委員の君塚芳輝先生(淡水魚類研究家)が、学校の敷地内に立川堀(昭和用水)が流れていて、その脇に空き地があるのを見られて、ここにビオトープを創ってはどうかという一言から始まりました。 ![]() 学校長がこのアイデアに大変興味を示されたので、すぐに小峰がラフな計画図面を描きました。確か2000年の夏頃だったと思います。この計画をもとに学校長、君塚先生そして小峰が、意見交換をしながら、1年生から6年生までが安全に利用できること、ハケ注2に棲んでいる鳥や虫、魚などが身近に感じられ、さらには地域の宝となるようにと考えながら、ビオトープの細部を固めていきました。その後に、昭島市が設計・施工して、2003年3月に完成しました。護岸形状などの一部を除けば、ほぼ私たちが提案した姿となっています。 ![]() 委員会などの会議の場は特に設けず、小峰が窓口になって皆さんの調整を行いました。当地には複数の環境団体があり活発に活動していますが、それぞれの団体の主要なメンバーは、ほかの複数の団体にも所属して、横断的な活動をしています。そのような日常の地域活動に参加しているだけで、情報や意見の共有をすることができるのです。統括する上位組織がある場合が多いと聞いていますが、私たちにはとくに必要ではありません。だから、委員会などがなくても、学校、保護者、専門家、そして地域の意見を十分にくみ上げ、調整し、それらをよい形で反映させたビオトープを創ることができました。 ![]() 昭島市には多摩川、立川堀だけではなく、玉川上水、各所にある湧水など、たくさんの水に恵まれ、多摩川沿いのハケに沿って樹林も多く残っています。しかし一時は、立川堀の水が涸れ、ハケの林も荒れてしまったことがありました。この多摩川、ハケの樹林、湧水からの流れが一体となった環境は、私たちの地域に固有で貴重な宝であり、私たちが将来も守り育てていかなくてはいけないものです。 ![]() これらの環境を一体としてより改善していくために、水辺の楽校、清流の復活、ハケ下の散歩道、ハケの樹林の保全など、多くの活動に取り組んでいます。この大きな活動のひとつに、成隣小学校の学校ビオトープがあります。敷地内に小川が流れている学校は全国にも2校程度しかないそうです。創立130年の成隣小学校に、新しい歴史のページを加えることができたのではないでしょうか。 ![]() 学校ビオトープの管理は、学校とPTAが主体に行っており、私たちは直接関わっていません。PTAの方々も、PTA活動以外に日常的な地域活動にも参画されていますし、環境団体に加入している人も多くいます。先ほども申し上げたように、いつも情報は交換しあっていますので、このような地域活動も円滑に行えるのです。 ![]() 農家が多かったことから、もともと結束力の強い地域です。逆にそれはよそ者に対して排他的な面も多分にありました。しかし、そのような親の世代を見てきた私たちは、それを反面教師としています。排他性をなくした結束力が現在は残っているのです。実は、ここにいる大場も、15年程前に昭島市に移り住んできたよそ者ですが、環境団体の運営に積極的に関わっています。地域に暮らす人はすべて平等です。どのような活動にも平等に参加し、意見を言うことができるはずです。多摩川、昭島、そして成隣小学校を愛し、大切に思い、自分たちが住む町を良くしていこうと思う気持ちは皆が持っています。 ![]() 昭島市がとても熱心で、私たちの活動を常日頃から支援していただいており、大変感謝しています。この地域で育った私たちは、かつての昭島の原風景を覚えています。この原風景を再生し、子どもたちに伝えていく場面で、行政と連携していろいろなお手伝いができると考えています。声をかけていただければ、喜んで協力するつもりです。そのためには、私たちの活動や考え方を普段から伝えておく必要があります。また、声がかかるのを待っているだけではなく、今後も広報や報告などの情報発信を積極的にしていく必要があると考えています。 |
||
(財)日本緑化センター発行のグリーン・エージ 2004/6号に掲載したものです。 | ||
![]() |
||